
あらすじ
高校生の美咲は、毎晩欠かさず見ているライブ配信者「REN」の大ファン。画面越しの彼に淡い恋心を抱いていたが、アルバイト先のカフェで出会った失礼な男性客との最悪の第一印象が、運命を大きく変えることになる。現代のSNS恋愛を描いた、切なくも温かいラブストーリー。
放課後の部屋で、私はスマートフォンの画面に釘付けになっていた。
「今日も一日お疲れさまでした。皆さんのおかげで、今日も充実した時間を過ごせました」
画面の中で微笑む男性—ライブ配信者「REN」—の声が、イヤホンを通して私の心に優しく響く。コメント欄には視聴者からの温かいメッセージが次々と流れていく。
『RENくん今日もありがとう!』
『明日も楽しみにしてます♪』
『お疲れさまでした〜』
私、桜庭美咲も慌ててコメントを打った。
『みーちゃん』という名前で、かれこれ半年間、RENの配信を見続けている。最初は偶然見つけた配信だったのに、今では毎日の楽しみになっていた。
「みーちゃん、今日もありがとう。いつも応援してくれて嬉しいです」
私のコメントを読み上げてくれると、頬が自然と緩んでしまう。RENは顔出しで配信しているけれど、本名も年齢も住所も何も知らない。でも、彼の話す内容や優しい雰囲気から、きっと素敵な人なんだろうなと想像していた。
配信時間は毎日夜8時から10時まで。読書の感想を語ったり、日常の出来事を話したりする地味な内容だけれど、RENの誠実な人柄が画面越しでも伝わってくる。私にとって彼は、遠い世界の憧れの人だった。
高校2年生の私には、まだ恋愛経験らしい恋愛経験もない。クラスの男子とは何となく話せるけれど、特別な感情を抱いたことはなかった。でも、RENに対しては違う。画面越しでも、心がときめいてしまう。
「それでは皆さん、また明日お会いしましょう。おやすみなさい」
配信が終わると、いつものように少し寂しい気持ちになる。明日また会えるとわかっていても、この2時間が終わってしまうのは惜しかった。
土曜日の午後、私はアルバイト先の「カフェ・ミルキーウェイ」で忙しく働いていた。平日は学校があるため週末だけの勤務だが、接客の仕事は私に向いていると思う。お客様との会話も楽しいし、店長の田中さんも優しい人だ。
「いらっしゃいませ」
午後2時頃、一人の男性が入店してきた。年齢は18、19歳くらいだろうか。黒いパーカーにジーンズという普通の格好だけれど、どこか不機嫌そうな表情をしている。
「何になさいますか?」
彼は面倒くさそうにメニューを見た。
「コーヒー、ブラック」
短く注文を告げる声は冷たく、愛想のかけらもない。でも、接客に慣れている私は、そんなお客様にも変わらず丁寧に対応した。
「かしこまりました。こちらでお召し上がりですか?」
「ああ」
彼は奥の席に座ると、スマートフォンを取り出して何かの作業を始めた。私はコーヒーを淹れながら、少し気になって彼の方を見た。集中している横顔は整っているけれど、やはり近寄りがたい雰囲気がある。
コーヒーを運んでいくと、彼はイヤホンをしながらスマートフォンの画面を見つめていた。
「お待たせいたしました」
「ああ、ありがとう」
そっけない返事だったが、ちらりと私を見上げた瞬間、彼の顔に見覚えがあることに気づいた。でも、どこで見たことがあるのか思い出せない。
30分ほど経った頃、彼がレジに向かってきた。
「お会計お願いします」
「350円になります」
彼が財布を取り出している時、スマートフォンの画面が見えた。そこには配信アプリのアイコンが並んでいる。私と同世代なら、ライブ配信を見ている人も多いだろう。特に珍しいことではない。
お金を受け取ろうとした時、彼のスマートフォンから通知音が鳴った。画面に表示されたメッセージを見て、私の心臓が止まりそうになった。
『REN様、配信時間の変更についてご連絡いたします』
REN…?
まさか、と思いながら彼の顔をもう一度見ると、確信に変わった。黒いパーカーを着ていて雰囲気は違うけれど、この顔は間違いなくRENだ。私が毎日見ている、憧れの配信者その人だった。
RENが店を出てから、私は動揺を隠せずにいた。憧れの人にやっと会えたのに、第一印象は最悪だった。あんなに冷たくて愛想のない人だったなんて。
「美咲ちゃん、大丈夫?顔色悪いよ」
店長の田中さんが心配そうに声をかけてくれた。
「あ、はい。ちょっと疲れているだけです」
そう言いながらも、頭の中はRENのことでいっぱいだった。配信中の彼はあんなに優しくて温かい人なのに、現実の彼はまるで別人のようだった。
その夜、いつものように配信時間になると、私は複雑な気持ちでスマートフォンの画面を見つめた。
「こんばんは、皆さん。今日は少し遅くなってしまいました」
画面の中のRENは、昼間カフェで見た彼と同じ顔なのに、まるで別人のように優しい表情をしていた。白いシャツを着て、柔らかな笑顔を浮かべている。
「実は今日、お気に入りのカフェに行ってきたんです。そこのコーヒーがとても美味しくて」
私の働いているカフェのことだろうか。でも、彼の口ぶりでは楽しい時間を過ごしたように聞こえる。現実では無愛想だったのに。
「店員さんもとても感じの良い方で、居心地が良かったです」
え?私のことを褒めてくれているの?でも、あの時は愛想が悪かったじゃない。
配信を見ながら、私は混乱していた。画面の中の優しいRENと、現実で出会った冷たい彼。どちらが本当の姿なのかわからなくなった。
「みーちゃん、今日もありがとうございます」
いつものように私のコメントを読み上げてくれたけれど、今日は素直に喜べなかった。この優しい声の主が、昼間会った彼だと思うと、なんだか騙されているような気分になった。
翌週の土曜日、またRENがカフェにやってきた。今度は注文する前に、少し店内を見回している。
「いらっしゃいませ」
私が声をかけると、彼はちょっと驚いたような表情を見せた。
「あ、えーと…この前と同じ、コーヒーのブラックで」
今回は少し丁寧な口調だった。でも、まだどこかよそよそしい。
「かしこまりました。こちらでお召し上がりですか?」
「はい」
彼は前回と同じ奥の席に座った。私がコーヒーを運んでいくと、今度はスマートフォンではなく、文庫本を読んでいた。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
前回よりもきちんと返事をしてくれた。少し距離が縮まったような気がする。
「太宰治がお好きなんですね」
思わず声をかけてしまった。彼が読んでいるのは『人間失格』だった。
「あ、はい…よく読まれるんですか?」
初めて、彼の方から質問された。声も配信の時ほどではないけれど、優しいトーンになっている。
「学校の授業で読んで、面白かったので。『斜陽』も好きです」
「斜陽、いいですよね。太宰の作品の中でも特に…」
そこまで言いかけて、彼は急に黙り込んでしまった。まるで、話しすぎてしまったことを後悔しているみたいに。
「す、すみません。お忙しいのに」
私が慌てて謝ると、彼は首を振った。
「いえ、こちらこそ…その、ありがとうございました」
それから彼は本に視線を戻し、私もその場を離れた。でも、たった数分の会話で、彼の印象が少し変わった。本について語る時の彼の目は、配信中の彼と同じように輝いていた。
その日の夜の配信で、RENが文学について熱く語っているのを聞きながら、私は昼間の会話を思い出していた。
「太宰治の作品には、人間の弱さと美しさが同時に描かれていて…」
配信中の彼は、文学について語る時、特に生き生きとしている。昼間、私と太宰治について話していた時も、同じような表情をしていた気がする。
もしかしたら、彼が冷たく見えるのは、人見知りだからかもしれない。配信では画面越しだから話しやすいけれど、現実での人との接触は苦手なのかも。
「今度、おすすめの本を紹介する配信もやってみようかな」
RENがそう言った時、私は思い切ってコメントを送った。
『太宰治の作品についても聞いてみたいです!』
「みーちゃん、太宰治お好きなんですね。今度詳しくお話ししましょう」
彼がにっこりと笑って私のコメントに答えてくれた。画面越しでも、その笑顔に心が温かくなる。
でも同時に、複雑な気持ちにもなった。配信では「みーちゃん」として親しく話しかけてくれるのに、現実では私が誰なのか知らない。この距離感が、なんだか切なかった。
RENのカフェ来店が週に一度のペースで続くようになった。最初はお互い遠慮がちだったけれど、少しずつ会話も増えていった。
「今日は何を読まれているんですか?」
「夏目漱石の『こころ』です。高校の時に読んで以来なんですが」
「私も授業で読みました。先生と私とKの関係が複雑で…」
「そうなんです。人間の心の奥底にある暗い部分を…」
文学の話になると、彼の人見知りな様子が消えて、配信中の彼に近くなる。きっと、好きなことについて話している時が、一番自然な彼なのだろう。
「あの、いつもありがとうございます」
ある日、彼が帰り際にそう言ってくれた。
「いえいえ、こちらこそ。お話しできて楽しいです」
「僕も…その、楽しいです」
少し照れたような表情で、彼はそう言った。その瞬間、私の胸がきゅんとした。配信者RENではなく、一人の男の子としての彼に、確実に惹かれている自分がいた。
でも、彼は私のことを「みーちゃん」だとは知らない。配信では毎日話しているのに、現実では週に一度、数分話すだけの関係。この状況が、だんだん辛くなってきた。
ある夜の配信で、RENが恋愛について話した。
「恋って、相手のことを知れば知るほど好きになることもあれば、その逆もありますよね」
私は画面に向かって、思わず頷いてしまった。
「最初の印象と、実際に話してみた時の印象が全然違うことってありませんか?」
まるで私たちのことを言っているみたいだった。でも、彼は私が「みーちゃん」だと知らない。
『第一印象って、案外当てにならないですよね』
私がそうコメントすると、RENは少し考え込むような表情を見せた。
「そうですね、みーちゃん。人って、面と向かって話してみないとわからない部分がたくさんあると思います」
一ヶ月ほど経った頃、RENがいつもより早い時間にカフェにやってきた。
「今日は早いんですね」
「ええ、ちょっと時間ができたので」
彼は少し緊張しているように見えた。いつもの文庫本ではなく、ノートパソコンを持っている。
「あの、もしよろしければ…お時間のある時でいいんですが、少しお話しできませんか?」
お客様から個人的な話を持ちかけられることは初めてだった。でも、断る理由はなかった。
「はい、大丈夫です」
私の休憩時間に、彼の席に座らせてもらった。
「実は、僕…ライブ配信をやっているんです」
私は驚いたふりをした。
「そうなんですか」
「RENという名前で配信しているんですが…もしかしたら、ご存知でしょうか?」
心臓が早鐘を打った。まさか、彼の方から配信のことを話してくれるなんて。
「あ、もしかして…見たことがあるかもしれません」
「本当ですか?」
彼の顔がぱっと明るくなった。
「実は、配信で知り合った方がいるんです。みーちゃんという方なんですが…」
私の名前が出て、さらに驚いた。
「その方のことを…?」
「はい。半年間、毎日配信を見てくれていて。コメントもいつも温かくて、とても大切な存在なんです」
彼が私のことを大切に思ってくれていたなんて。
「でも、会ったことはないんですよね?」
「そうなんです。でも、いつかお会いできたらいいなと思っていて…」
「どうしてですか?」
「なんというか…画面越しでも、その人の人柄って伝わってくるんです。きっと、とても優しくて素敵な方だと思うんです」
私は胸がいっぱいになった。彼は画面越しの私を、そんなふうに思ってくれていたのだ。
「その…みーちゃんさんに、恋をしているんですか?」
思い切って聞いてみた。
「恋、ですか…」
彼は少し考えた。
「正直、よくわからないんです。会ったことのない人に恋なんてできるのかな、って。でも、確実に特別な存在です」
その夜の配信で、RENはいつもより嬉しそうだった。
「今日、とても嬉しいことがありました。よく行くカフェの店員さんと、少し深い話ができたんです」
私のことだ。
「その方がなんと、僕の配信を見てくれたことがあるって言ってくれて」
『それは嬉しいですね!』
「みーちゃん、そうなんです。とても嬉しくて」
「実は、その店員さんにみーちゃんのことを話してしまいました」
え?
「みーちゃんがどれだけ素敵な方か、どれだけ大切な存在か、つい熱く語ってしまって」
画面の向こうで、彼は少し照れたような表情を見せた。
「もしかしたら、引かれてしまったかもしれません」
『そんなことないと思いますよ!きっと、RENくんの気持ちが伝わったはずです』
「ありがとう、みーちゃん。君のその優しさが、僕の支えなんです」
その言葉を聞いて、私は決心した。もう隠していることに疲れてしまった。本当の気持ちを伝えたい。
翌日の土曜日、私はRENがカフェに来るのを待っていた。今日こそ、全部話そう。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。いつものお願いします」
彼がいつもの席に座ってから、私は店長に頼んで少し時間をもらった。
「あの、お話があります」
彼の席に向かい、私は深呼吸した。
「実は私…みーちゃんです」
「え?」
彼の目が大きく見開かれた。
「RENさんの配信を、ずっと見ています。みーちゃんというのは私のことです」
しばらく沈黙が続いた。彼は私の顔を見つめて、何かを確認するように何度も瞬きした。
「本当に…?」
「はい。最初にここで会った時、RENさんだってわかったんです。でも、言えなくて…」
「そんな…じゃあ、僕が昨日話していた…」
「はい。私のことです」
彼の顔が真っ赤になった。
「恥ずかしい…あんなこと言って…」
「でも、とても嬉しかったです」
私も頬が熱くなっているのがわかった。
「僕、君のことを…いや、みーちゃんのことを…」
彼は言葉に詰まった。
「私も、RENさんのことが好きです」
思い切って言った。
「最初は配信者として憧れていたけれど、こうして話をするようになって、一人の人として好きになりました」
「僕も…君のことが好きです」
彼がそう言った時、私の目に涙がにじんだ。
「画面越しでも、こうして直接でも、君は変わらず優しくて温かい人だった」
「RENさんも、配信の時と同じ、素敵な人でした」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「これからも、配信見てくれますか?」
「もちろんです。でも、こうして直接お話しできるのも嬉しいです」
「僕も。君ともっと時間を過ごしたい」
そう言って、彼は私の手をそっと握った。
「改めて…僕と付き合ってください」
「はい」
私は涙を拭いながら、大きく頷いた。
画面越しで始まった恋が、現実で実を結んだ瞬間だった。
エピローグ
それから3ヶ月後、私たちは正式に恋人同士になった。RENこと、本名・蓮斗は私より1歳年上の高校3年生だった。
「今日も配信、頑張って」
「ありがとう。今度、みーちゃんのことも紹介しようかな」
「え、恥ずかしいです」
でも、嬉しかった。彼の大切な配信に、私も関われるなんて。
画面越しで始まった恋は、現実ではもっと素敵なものになった。第一印象は最悪だったけれど、お互いを知っていくうちに、本当の愛に変わった。
時代は変わって、出会い方も変わったけれど、恋をする気持ちは昔も今も同じなのかもしれない。
〜完〜