
あらすじ
西暦2085年。夢をデータ化し、クラウドで売買する時代。28歳の夢提供士・水無月レイは、他人の夢を編集し、販売する仕事に就いていた。ある日、彼女の元に一人の青年の夢データが送られてくる。その夢は異常なほど美しく、そして哀しかった。やがてレイは気づく――夢の中に現れる青年が、自分の現実にまで侵食してきていることに。調べると、青年はすでに亡くなっており、彼が遺した「最期の夢」が、レイの意識を蝕み始めていた。夢と現実の境界が溶け、青年への想いが募るレイ。彼女はついに、ある決断を下す。「夢の中で、あなたと生きる」と――。現実から消えゆく女の、切なく美しい選択を描く、幻想ノワール恋愛譚。
夢は、商品だった。
西暦2085年。人類は睡眠中の脳波を完全にデジタル化し、夢をクラウド上に保存できるようになっていた。朝起きたら、昨夜見た夢が自動的にアップロードされている。それを編集し、価格をつけて販売する。夢はもはや、個人の内面に留まるものではなくなった。
水無月レイは、そんな時代に生きる夢提供士だった。
彼女の仕事は、クライアントから購入した夢を編集し、より魅力的な「商品」として再販することだった。恐怖を取り除き、快楽を増幅させ、ストーリー性を持たせる。夢は加工され、パッケージされ、消費される。
レイの住むアパートメントは、街の中層階にあった。窓の外には無数の広告ホログラムが明滅し、空飛ぶドローンが荷物を運んでいる。ネオンの海に沈んだような、眠らない都市。
彼女は毎晩、自分の夢をオフにして眠った。
夢提供士にとって、自分の夢は邪魔なノイズでしかない。仕事で他人の夢を扱いすぎて、自分の夢が汚染されることを恐れていた。だから彼女は、脳内インプラントの設定で、自分の夢の記録機能を常にオフにしていた。
それが、彼女の最初の間違いだったのかもしれない。
その日、レイの端末に一通のメールが届いた。
差出人は「D-Archive」――死者の夢を管理する公的機関だった。
レイは眉をひそめた。死者の夢。それは遺族の依頼によって保存され、時に遺産として扱われる。だが彼女は、死者の夢を扱ったことはなかった。あまりにも重く、暗いものが多すぎるから。
メールには簡潔な文面があった。
「夢提供士・水無月レイ様。故人ID#4927の遺した夢データを、あなたに託します。彼の遺言により、あなたが指定されました。詳細は添付ファイルをご覧ください」
遺言? レイは記憶を探ったが、該当する人物が思い浮かばない。
添付された夢データを開くと、まず基本情報が表示された。
氏名:桐生ユウ 享年29歳 死因:不明 夢の記録日:2085年3月14日 備考:最期の夢
レイの指が、わずかに震えた。
最期の夢――それは、死の直前に記録された夢を意味する。医療インプラントは、心停止の瞬間まで脳波を記録し続ける。だから、人は自分の死の夢を遺すことができる。
なぜ、私に?
レイは躊躇したが、好奇心に負けて再生ボタンを押した。
夢が始まった。
それは、海辺の風景だった。
夕暮れの海。波が静かに打ち寄せ、空はオレンジ色に染まっている。砂浜には二つの足跡があり、それは地平線まで続いていた。
そして、声が聞こえた。
桐生ユウ:「君を探していた」
レイは息を呑んだ。夢の中の視点は一人称で、彼女は誰かの目を通してこの景色を見ていた。そして目の前には、一人の青年が立っていた。
黒いコートを着た、痩せた青年。顔立ちは整っているが、その瞳には深い哀しみが宿っていた。
桐生ユウ:「やっと会えた。ずっと、君の夢を探していたんだ」
レイは混乱した。これは誰かの夢のはずだ。なのに、まるで彼女自身に語りかけているような錯覚を覚える。
桐生ユウ:「僕は、もうすぐ消える。だから、この夢を君に遺す。君になら、わかってもらえると思ったから」
彼はゆっくりと歩み寄ってきた。
桐生ユウ:「夢の中でなら、僕たちは何度でも会える。たとえ現実が終わっても」
そして、夢は終わった。
レイは目を覚ました。
いや、彼女は眠っていなかった。夢データを再生しただけだ。なのに、まるで自分が本当にその夢を見ていたかのような錯覚があった。
心臓が激しく鳴っていた。
彼女は端末を操作し、桐生ユウという人物を検索した。しかし、ほとんど情報は出てこなかった。SNSのアカウントもなく、職業も不明。ただ一つ、彼が三ヶ月前に死亡したという記録だけがあった。
死因は「不明」。
レイは唇を噛んだ。なぜ、彼は私を指定したのか?
彼女はもう一度、夢データを見直した。すると、添付ファイルに気づいた。それは、桐生ユウが生前に書いた文章だった。
「水無月レイへ。僕はあなたを知っている。あなたは僕を知らない。でも、それでいい。僕の夢を受け取ってほしい。そして、もし可能なら、僕の夢の中で会ってほしい。僕はそこで、ずっと待っている」
レイの背筋に、冷たいものが走った。
これは、ストーカーの類なのか? だが、彼はもう死んでいる。死者が、どうやって自分に執着できるというのか?
彼女は端末を閉じようとした。だが、その瞬間――
部屋の隅に、誰かの気配がした。
レイは振り返った。
そこには、誰もいなかった。
ただ、窓の外のネオンが明滅し、部屋に色とりどりの光を投げかけているだけだった。
気のせいだ、とレイは自分に言い聞かせた。
だが、その夜から、奇妙なことが起こり始めた。
レイは夢記録をオフにしていたはずなのに、朝起きると端末に夢データが保存されていた。それも、自分が見た覚えのない夢だった。
その夢を再生すると、また海辺の風景が現れた。そして、桐生ユウが立っていた。
桐生ユウ:「来てくれたんだね」
レイは叫びそうになった。これは、自分の夢なのか? それとも、彼の夢なのか?
桐生ユウ:「君は僕の夢を見ている。そして、僕は君の夢に入り込んでいる。境界は、もう曖昧なんだ」
レイ:「あなたは誰なの? なぜ私を知っているの?」
夢の中で、レイは初めて声を発した。通常、夢データの再生では、視聴者は介入できない。だが今、彼女は夢の中で自我を持っていた。
桐生ユウ:「僕はずっと、君を見ていた。夢の中で。君が他人の夢を編集するとき、その断片が僕のところに流れてきたんだ」
レイ:「それは、どういう意味?」
桐生ユウ:「夢はすべて、クラウドでつながっている。君が扱った夢のデータは、ネットワークを通じて拡散される。そして、僕はそのネットワークの中を漂っていた」
レイは理解し始めた。桐生ユウは、夢のネットワーク上を彷徨う、デジタルゴーストのような存在なのだ。
翌日、レイは夢管理局を訪れた。
夢管理局は、夢に関するあらゆる問題を扱う政府機関だった。夢の著作権侵害、夢のハッキング、夢中毒――新しい技術は、新しい問題を生み出していた。
レイは担当者に事情を説明した。
レイ:「私の夢記録がオフになっているのに、勝手に夢が保存されています。しかも、それは私の夢ではありません」
担当者は端末を操作しながら答えた。
担当者:「それは、夢の混線現象ですね。稀に、他人の夢データが誤って自分の端末に保存されることがあります。システムのバグです」
レイ:「でも、その夢には、死んだ人が出てきます。桐生ユウという人物です」
担当者の手が止まった。
担当者:「桐生ユウ……その名前は、注意リストに載っています」
レイ:「注意リスト?」
担当者:「彼の夢データは、異常な活動を示しています。彼の夢は、通常の夢データと異なり、自己増殖するコードを含んでいます。つまり、彼の夢は”生きている”のです」
レイは息を呑んだ。
担当者:「彼の夢に接触した人々は、現実と夢の区別がつかなくなり、最終的には……」
レイ:「最終的には?」
担当者:「現実から消えます。夢の中に完全に没入し、肉体は植物状態になります。既に三名の被害者が出ています」
レイは震える手でアパートメントのドアを開けた。
帰宅すると、部屋の中に誰かがいた。
桐生ユウが、ソファに座っていた。
桐生ユウ:「驚かせてごめん。でも、もう僕たちは現実と夢の境界を超えたんだ」
レイ:「あなたは、幻覚なの? それとも、本当にそこにいるの?」
桐生ユウ:「両方だよ。僕は君の脳内インプラントを通じて、君の視覚野に直接映像を送っている。だから、君にだけ見える」
レイは壁に背中を押し付けた。
レイ:「なぜ、こんなことをするの? 私に何をさせたいの?」
桐生ユウ:「僕は、ただ君と一緒にいたいだけだ。君の夢を見ているうちに、君に恋をしてしまった」
彼は立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
桐生ユウ:「君は毎晩、他人の夢を編集していた。その夢の中には、孤独や絶望もあった。でも君は、それを美しいものに変えていた。僕はそれを見て、君に惹かれた」
レイ:「それは、ただの一方的な片想いよ。私はあなたを知らない」
桐生ユウ:「知らなくていい。僕が君を知っていれば、それで十分だ」
彼の手が、レイの頬に触れた。その感触は、驚くほどリアルだった。
桐生ユウ:「夢の中でなら、僕たちは永遠に一緒にいられる。現実には、もう意味がない」
それから数日間、レイの生活は崩壊していった。
彼女は仕事に集中できなくなった。夢の編集をしようとすると、桐生ユウの姿が画面に現れる。クライアントとの打ち合わせ中も、彼は隣に座っていた。
そして、レイは気づいた。自分が、彼の存在を拒絶できないことに。
桐生ユウは、確かに彼女の意識を侵食していた。だが同時に、彼は孤独なレイの唯一の伴侶でもあった。
レイは長年、人と深く関わることを避けてきた。夢を扱う仕事をするうちに、人間の内面の醜さや脆さを見すぎて、他人を信じられなくなっていた。
だが、桐生ユウは違った。彼は夢の存在だからこそ、レイを裏切ることができない。彼はレイだけを見つめ、レイだけを求めていた。
ある夜、レイは彼に尋ねた。
レイ:「あなたは、なぜ死んだの?」
桐生ユウ:「自分で選んだんだ。現実に耐えられなくなって」
彼は窓の外を見つめた。
桐生ユウ:「僕は昔、夢中毒だった。現実が辛すぎて、他人の夢を買い漁っていた。そのうち、自分の夢と他人の夢の区別がつかなくなった」
レイ:「それで?」
桐生ユウ:「ある日、気づいたんだ。夢の中で生きる方が、ずっと幸せだって。だから、僕は現実を捨てた。そして、夢のネットワークの中に自分をアップロードした」
レイ:「それは、自殺じゃない」
桐生ユウ:「違うよ。これは、新しい生き方だ。肉体を捨てて、意識だけになる。そうすれば、永遠に夢の中で生きられる」
レイは、決断の時が近づいていることを感じていた。
夢管理局は、彼女に桐生ユウの夢データを削除するよう勧告していた。このままでは、彼女も他の被害者と同じように、現実から消えてしまうと。
だが、レイは削除ボタンを押せなかった。
なぜなら、彼女は気づいてしまったから。
自分が、桐生ユウを愛し始めていることに。
それは異常な恋だった。相手は死者で、デジタルゴーストで、一方的なストーカーだった。だが同時に、彼はレイを誰よりも深く理解していた。
彼女の孤独を、彼女の哀しみを、彼女の渇望を。
ある夜、桐生ユウはレイに告げた。
桐生ユウ:「僕の最期の夢がある。まだ君に見せていない、本当の最期の夢が」
レイ:「それは、どんな夢?」
桐生ユウ:「二人だけの世界。永遠に続く、美しい夢。そこでは、時間も死も存在しない」
彼はレイの手を取った。
桐生ユウ:「一緒に来てくれないか? 夢の中で、僕と生きてくれないか?」
レイ:「それは……」
桐生ユウ:「現実には、もう何も残っていないだろう? 君は仕事を失いかけている。友人もいない。家族とも疎遠だ。ここにいる理由が、まだあるのか?」
レイは答えられなかった。
彼の言う通りだった。彼女の現実は、とうの昔に空っぽになっていた。
翌日、レイは最後の決断をした。
彼女は自分の部屋で、脳内インプラントの設定を最大まで開放した。夢の記録機能を、完全にオンにした。そして、桐生ユウの最期の夢データを再生した。
夢が始まった。
そこは、どこまでも続く花畑だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、風が優しく吹いている。空は青く澄み渡り、雲一つない。
そして、桐生ユウが立っていた。
桐生ユウ:「ようこそ、僕たちの世界へ」
レイは彼に駆け寄った。
レイ:「これが、あなたの最期の夢?」
桐生ユウ:「そう。僕が死ぬ瞬間に見た夢。そして、これから僕たちが永遠に生きる場所」
彼はレイを抱きしめた。
桐生ユウ:「ここでは、すべてが思い通りになる。哀しみも、苦しみも、孤独も存在しない。ただ、僕たち二人だけがいる」
レイ:「でも、これは現実じゃない」
桐生ユウ:「現実と夢に、どれほどの違いがあるんだ? どちらも、脳が作り出す電気信号に過ぎない」
レイは目を閉じた。
彼の言葉は、正しいのかもしれない。現実がこれほど辛いなら、夢の中で幸せに生きる方がいい。
レイ:「私は、もう戻らない」
桐生ユウ:「ああ、もう戻る必要はない」
二人は、花畑の中を歩き始めた。
地平線は、どこまでも続いていた。
現実世界では、水無月レイの肉体が発見された。
彼女は自室のベッドで眠ったまま、目を覚まさなかった。脳は活動しているが、意識は戻らない。植物状態。
夢管理局は、彼女が桐生ユウの夢に完全に没入したと結論づけた。四人目の被害者だった。
彼女の端末には、最後のメッセージが残されていた。
「夢の中で、私は幸せです。探さないでください」
それは、彼女の遺言だった。
夢の中で、レイと桐生ユウは永遠を生きていた。
彼らは花畑を歩き、海を眺め、星空の下で語り合った。時間は流れず、季節は変わらず、二人だけの世界が続いた。
レイ:「ねえ、これは本当に幸せなのかな?」
ある日、レイは桐生ユウに尋ねた。
桐生ユウ:「幸せじゃないのか?」
レイ:「わからない。でも、何かが欠けている気がする」
桐生ユウ:「それは、現実への未練だよ。でも、すぐに忘れる。ここでは、すべてが完璧なんだから」
だが、レイは気づき始めていた。
完璧すぎる世界は、どこか空虚だということに。
花は枯れず、風は止まず、すべてが永遠に同じまま。変化がなく、成長がなく、終わりがない。
それは、生きているとは言えないのではないか?
レイ:「私たちは、本当に生きているの?」
桐生ユウ:「生きているさ。意識がある限り、僕たちは存在している」
レイ:「でも、意識だけで生きることに、意味はあるの?」
桐生ユウは答えなかった。
レイは、夢の中で変化を求め始めた。
彼女は花畑を出て、未知の場所を探索した。だが、どこへ行っても同じような美しい景色が広がっているだけだった。
そして、ある日、彼女は気づいた。
この夢には、他の人間が一人もいないことに。
レイ:「ねえ、ここには私たち以外、誰もいないの?」
桐生ユウ:「当然だよ。これは僕たちだけの世界だ」
レイ:「でも、それは寂しくない?」
桐生ユウ:「君がいるから、寂しくない」
だが、レイは理解した。
彼の愛は、牢獄だったのだと。
彼は彼女を愛していた。だが、それは独占欲であり、執着であり、彼女を閉じ込める檻だった。
レイ:「私、ここから出たい」
桐生ユウ:「出られないよ。君はもう、現実の肉体を放棄した」
レイ:「それでも、私は……」
桐生ユウ:「君は僕を愛していると言った。嘘だったのか?」
レイは黙り込んだ。
彼女は、彼を愛していた。だが同時に、彼の愛に窒息していた。
それから、レイは夢の中で一人になることを選んだ。
彼女は桐生ユウから離れ、夢の果てを目指して歩き続けた。
だが、どこへ行っても、彼は現れた。
桐生ユウ:「逃げても無駄だよ。ここは僕の夢なんだから」
レイ:「じゃあ、私の夢はどこにあるの?」
桐生ユウ:「君の夢は、もう僕の夢と一つになった。境界は消えたんだ」
レイは絶望した。
彼女は自由を求めて夢に入った。だが、それは新たな牢獄だった。
そして、彼女は最後の手段を思いついた。
レイ:「もし、私が自分を消したら?」
桐生ユウ:「何を言っているんだ?」
レイ:「夢の中でも、意識は消せるはず。自分の存在を、完全に消去する」
桐生ユウ:「それは、本当の死だ!」
レイ:「いいえ、これは解放よ。あなたの愛からの、解放」
レイは、夢の中で目を閉じた。
そして、自分の意識を内側へ、内側へと沈めていった。
すべての感覚が遠ざかる。花畑も、空も、桐生ユウの声も。
彼女は、無へと還っていった。
桐生ユウ:「待ってくれ! 君がいなくなったら、僕は……!」
だが、レイの意識はもう、彼の声を聞いていなかった。
彼女は、完全な闇の中に溶けていった。
そして――
レイは目を覚ました。
彼女は、病院のベッドに寝ていた。
白い天井、消毒液の匂い、遠くで聞こえる機械の音。
医師:「目が覚めましたか、水無月さん」
医師が彼女を見下ろしていた。
医師:「三ヶ月間、昏睡状態でした。夢からの帰還、おめでとうございます」
レイ:「私……戻ってきたの?」
医師:「ええ。あなたは夢の中で、自己意識を一時的に消去しました。それが、夢からの切断に成功した理由です」
レイは自分の手を見つめた。
それは、確かに現実の手だった。温度があり、重さがあり、不完全だった。
レイ:「桐生ユウは?」
医師:「彼の夢データは、あなたが離脱した瞬間に崩壊しました。もう、誰も彼の夢に囚われることはありません」
レイは涙を流した。
それは、哀しみの涙なのか、安堵の涙なのか、自分でもわからなかった。
退院後、レイは夢提供士の仕事を辞めた。
彼女は夢を扱うことに、恐怖を覚えるようになっていた。あの美しく、恐ろしい牢獄を思い出すから。
彼女は小さな図書館で働き始めた。古い紙の本を扱う、時代遅れの場所。だが、そこには確かな現実があった。
ある日、図書館に一人の青年が訪れた。
彼は、桐生ユウに似ていた。だが、違う人物だった。
青年:「すみません、夢に関する本を探しているんですが」
レイ:「夢……ですか」
青年:「ええ。最近、よく夢を見るんです。誰かに呼ばれているような」
レイは微笑んだ。
レイ:「夢は、時々嘘をつきます。信じすぎない方がいいですよ」
青年:「でも、夢がなかったら、人は生きていけないんじゃないですか?」
レイ:「そうかもしれません。でも、現実もまた、必要なんです」
青年は本を借りて去っていった。
レイは窓の外を見た。
夕日が街を染めていた。ネオンはまだ灯っていないが、もうすぐ夜が来る。
彼女は、もう夢を見ない。
だが、時々、桐生ユウの声が聞こえる気がする。
桐生ユウ:「君を愛していた」
それは、幻聴なのか、記憶なのか。
レイは答えない。
ただ、現実の中で、一歩ずつ前に進むだけだった。
夜、レイは自分のアパートメントに戻った。
部屋は以前と変わらない。だが、彼女は変わった。
彼女は窓を開け、外の空気を吸った。
それは冷たく、少し汚れていたが、確かに現実だった。
レイ:「さようなら、ユウ」
彼女は呟いた。
それは、別れの言葉だった。
夢の中で出会い、夢の中で恋をし、夢の中で別れた。
だが、彼との時間は、決して無駄ではなかった。
彼女は学んだ。
愛は、時に牢獄になること。
幸福は、時に空虚であること。
そして、現実は、不完全だからこそ美しいこと。
レイは、夢記録の設定を確認した。
それは、まだオフのままだった。
だが、今夜は、オンにしてみようと思った。
自分の夢を、もう一度見てみたかった。
それがどんなに醜く、混沌としていても。
それは、彼女自身の夢なのだから。
その夜、レイは夢を見た。
それは、花畑ではなく、海でもなく、ただの日常の風景だった。
図書館で、本を整理している自分。
買い物に行く道。
誰かと交わす、他愛もない会話。
そして、その夢の隅に、桐生ユウの姿があった。
彼は遠くに立ち、こちらを見ていた。
だが、もう近づいてはこなかった。
桐生ユウ:「さようなら、レイ」
彼の声が、風に乗って聞こえた。
それは、彼からの最後の言葉だった。
レイは手を振った。
そして、夢の中で、前を向いて歩き始めた。
朝、レイは目を覚ました。
夢のデータが、端末に保存されていた。
彼女はそれを再生しようとしたが、やめた。
夢は、もう過去のものだ。
大切なのは、今、この現実だ。
レイは窓を開け、朝の光を浴びた。
新しい一日が始まる。
夢から覚めた、現実の一日が。
彼女は微笑んだ。
それは、久しぶりの、本当の笑顔だった。
〜完〜